欠けたところはそのままに
私のお花を咲かせましょう
私のゼロは、あなたとプラスに
私は、ここにいます。
展示会「Re-Born Jomon 〜The Eden〜」のコンセプトは「楽園」。
今回の作品群は、土器や土偶の造形に自然物(人間も含め)との一体感を感じていたため、こちらもお花が咲き乱れたような作品となりました
この作品が完成する数日前、ある場所で誕生日月サプライズとして頂いたピンクの一輪のバラ🌹。
美を追求する場所で頂いただけに
「愛だなぁ…」と感動してしまいました。それからまた数日後に控えた、心躍る予定を思い。
そんなワクワクが満面に表現された作品になりました。皆さんにこの気持ちがビビビっと伝わったようで…ほんの一部分を深夜に上げただけで「なんだか元気になった」「活力が湧いた」「ドキっとした・・」そんなご感想を沢山いただきました。ありがとうございます。
これも「The Eden(544×544)」「マナカの星」と同じくペルシャ絨毯をモチーフにしていますが、外枠は「数字の0」を表しています。
土偶はどこかが意図的に欠けています。
なぜ欠けているのかは謎ですが、
わたしは「欠けていてこそ完璧」と感じています
欠けている部分は、私のもう一人の自分が補うために欠けていると思うのです
凹と凸の関係のように・・だからそれを何とかしようとしなくていい。
でも、欠けていようがいまいが自分の「本当の」望みを知って、
その望みを「めいっぱい磨くこと」は必要かと・・。
「ありのまま」という言葉を「あきらめ」と捉えていた私。
「もうメイクは眉毛だけでいいや、男みたいな格好でいいや」と、女性を諦めていた数年前の自分が思い起こされます
それは自分に向き合うことへの恐れ。
「頑張っても誰からも愛されないかもしれない。それなら、やらないほうがいい。「ジェンダーレス」の流れに乗って」
潜在的に、そう思っていたのです
だから、土偶のように「あからさまに女性をかたどった」造形が、実は苦手でした。とてもざわざわしました。目を背けたくなるほどに・・
それは自分の潜在的な「見たくない、見ようとしない部分」「本当は向き合わなければいけない部分」が、刺激されていたからだと思うのです
でも今は「自分に向き合いたい」。
というか、苦手だった縄文の造形をなぜか描く立場に置かれるなかで、いやでも向き合う事になっているのですが・・笑
自分と向き合う中で考えさせられるのは
「自分が本当に望んでいること、叶えたいこと」は何なのか、ということ
本当は、私は「お花になりたかった」。
女性らしい服を着て、お花のように咲いていたい。
でも、その地で咲いてそのまま朽ちるつもりもない。
まして束ねられた切り花でもない。
なんなら根っこを足にして、気の向く場所へ移動して咲く、前代未聞の花。ちょうど、こんな絵のように。
鉢植えでも野っ原でも切り花でも全ての人は、どんな咲き方、生き方であろうと
それぞれに美しいお花なんです。自分がそれを良しとさえすれば。
それぞれに美しい、たくさんの花の中で
「わたし」という前代未聞の花を「これがいい」と見つけてほしい。
だから、頭におっきなお花を咲かせましょう
枯れていたら、見つけてもらえないのです
お互いの「ゼロ」を「プラス」にする、もう一人の自分に。
わたしは、ここで咲いています。
「ここにいます」。