縄文的な要素が色濃い故郷の神楽。
死と再生、神と人が渾然一体となり
祈り、願う
何気なく読んでいた本の一文。
偶然、生まれ故郷の神楽が「全国的に珍しい祭り」として取り上げられているページを目にした時は驚きました。
「花祭り」という神楽は、天竜川のほとり、山深い集落に残る五穀豊穣を願う祭りで、伊勢信仰・熊野修験道・諏訪信仰・白山信仰といった、様々な信仰・文化が入り混じってひとつになっているというのが民俗学的にも珍しく、根源的に「ウマレキヨマリ(生まれ清まり)」という「死と再生」の祈りが込められていることを知ります。
そして縄文人にも、「死と再生」という思想があったようです。
私にとってこの神楽は物心ついた頃から地元にあり、当たり前すぎるものでした。民俗学的に珍しいという事も知らず、親も、祖父たちも、山深い土地に「ただ残されているもの」として、毎年この祭りに関わってきました。
「花祭り」には鬼や翁、おかめといった「神々」が登場し、五穀豊穣・無病息災を願う舞を披露します
仮面を被った鬼は近所のおじさんなのですが、「神下ろし」されたその姿・所作は「人ならざるもの」に見え、幼心に畏怖の念を抱いたものです
鬼は大地を、榊を踏み締めることで再び豊穣をもたらす。おかめは人々の顔に味噌をつけて回ることで、子宝を約束する。湯立ての聖水をかけて回る舞人の男たち、産湯をあびて「ウマレキヨマリ」、歓声をあげる見物客。舞場の頭上で湯気と熱気に煽られて揺れる、陰陽五行をあらわす紙飾り。
祭りは大地の力が一番弱まるとされる霜月に行われ、死んでしまった大地がまた春の訪れとともに豊穣をもたらしてくれるようにと願い、神と人が渾然一体となって明け方まで舞い、祈る。
舞の所作は回転を繰り返し、ともすると見物側は退屈ですがそこには土地に生きる人々の切実な祈りを感じます。
古代から脈々と残る、切実な願いや祈り。遠い存在に感じていた縄文と、自分とのつながり。
「仮面の女神」と呼ばれる国宝の土偶とともに、それらを表現しています。
この作品は「私の故郷と縄文」という非常にニッチな表現にも関わらず、不思議と受け入れて頂き・・多くを語らずとも「気になる」方がお迎えくださいます。ありがとうございます。