器は実り、満たされてはじめて
豊かさを与えることができる。
それは静かな慈雨であり、
止めどなく溢れて止まらない情熱。
展示会「Re-Born Jomon 〜The Eden〜」のコンセプトは「楽園」。
今回の作品群は、土器や土偶の造形に自然物(人間も含め)との一体感を感じていたため、この作品も土器と樹木が一体になっています
女性は子を宿したり、自然界のエネルギーを受け取り男性へ与えるなど
その姿を「器」とするならば土器もまた、土偶と同様に「女性」という思想が込められていたと思います
満たされた器には無花果(イチジク)のような実が豊かに実り、
熟した実からは慈愛の液体がとめどなく溢れ出しています(この温泉のような液体に浸かっている子を探してください笑)。
器は内側が満たされてはじめて、他へ愛を与えることができる。
この器に穴が空いていたりヒビ割れていたら、当然満たすことはできません
自分の内側にある心の傷を見つめて、ヒビ割れを修復しない限りそこから漏れ続け、実をつけることもない。
「満たされない」「愛が欲しい」「愛するよりも愛されたい」という欠乏感から
いつまでたっても外側から求め続ける、でもやっぱり満たされない。そのループから抜け出せない。
だから結局は、自分の内側の傷ついている部分に光を当て、自覚し、自分で自分を癒すことから・・まずはそこしかないと思うんですよ
そんな私も「愛するよりも愛されたい!」と思っていました(今も若干思ってます笑)
でも、もしも、たとえば。
「すでに200%、完璧に愛されていた」としたら・・・どうですか?
もう「愛する」ことしか、残っていなかったんです。だって愛されているんだから。
「これができるのは【自分自身】にしか、できない」と思い至ったんです
だって自分以外のことはどうこうしたくても、思い通りにはならない(自分のこともなかなかどうして、ですが)。でも自分は、自分に200%愛されている。ということにしてみる、ことはできる。つまり、自分を信じる。ほかでもない自分を。
「あなたが好きです」「結婚してください」と一生懸命、正直に、剥き出しで伝えていたのは
実は他でもない、もう一人の自分。つまり「私自身に対して」だったんです。
自分に対して一生懸命「結婚してください!」って怖いやら、可愛いやら、わたし。
どれだけ自分の内面以外と誓いを立てたところで、そこには確証なんてない。だからそこにすがっても同じことの繰り返し。実ることも、満たされることもないのでしょう
だから自分をとことん好きになるようにする。無条件で100%、200%自分を信じて、自分を愛した時、愛することが出来た時。
きっと、そんな私から去っていく人もいるでしょう
でもそのとき、私の横に立っているのは誰なのか。
この絵のように止めどなく溢れる自己愛を永遠に振り向けることができ、それを受け止めてくれるのは。そして自分も相手の自己愛を受け止められるのは。
結局、自分の中の男性性と女性性が結婚(統合)が起きた時点で、
次は相手の男性がいて(その男性も魂は同じなので「もう一人の自分」なのですが)・・そこでまた統合がおきる・・まずは「最小単位」の自分を見つめたその先にしか、いわゆる「ワンネス」なんてないのかもしれません。
「誰かを幸せにしたい、愛を与えたい」
そう思う前に、自分に目を向けて
器を満たすことだけを考える。
「誰かのため」に生きるのをやめて、自分を愛してあげる
それは本当の自分の人生を生きること。
結果、自然と誰かを幸せにしている自分がいる。
それが何となく分かってきた気がする、というか
それが本当の私がやりたいことなのでしょう
前回の個展で私は「満月前夜」という作品を作っていました
これを迎えてくださった方が「愛すること」を見て「器は満たされたんだね」と言ってくださり、
やっぱり私は続き物を作っているんだと・・気がつかせていただきました
満たされる前夜(直前)を描いた前回の作品と、満たされ、溢れ出る今回の作品。
これが果たして今の現状なのか、少し先の未来なのかはまた、次の作品を産み出した時にわかるのかもしれません。
私は、私に愛されている
私は、私を愛する。
本当の自分を生きる。
その先にきっと、求めてやまない「もうひとりの自分」が、隣にいてくれると信じて。