昨日は満月でしたね
私は何となく深川不動尊さんへ行って、ご先祖様たちのお彼岸供養をして
新宿のスタバで窓際の席に座り、
都庁周辺のビル群、その中のほんの一部分の
木立の一画でちょろちょろと歩き回る小さなネズミを眺めながら
「ここにいればそこそこ安全で快適で、そこそこ満足なネズミ生が送れそうだなあ」と思いながら
割と長い時間、考え事をしていました
で、今朝思ったことをまた備忘録として記しておこうと思います
「そこそこの『幸せワンネス』人生」から、抜けていこうと。
「なぜ今のままじゃダメなの?」という空間から、離れていこうと。
多くの人が「すごい」と認識しているであろう人。
その言葉が「みんながすごいと認識しているから、私にとっても正解」だと思っていました
そう思っていた理由として「自分に自信が無かった」というのもあります
でも、やっぱり「私が信じたい世界」とは、隔たりがある。
どこか「自分と考えが同じであってほしい」という期待
「自分が間違っているかもしれない」という自己不信と恐れ。
そんなものがあって、なかなか手放せなかったのですが
昨日「ああ、やっぱり見たい世界が違う」と腑に落ちる出来事があり
「これも手放す時なんだな」と、ようやく決心できました。
もっと前からわかっていたはずなんですが
認めたくない時は見えないことにしてしまうものですね
もしかしたら少し前までは、その価値観も同じだったのかもしれません。
でも考え方も価値観も、どんどん繊細に枝分かれをしている世の中の流れのなかで
それだけ私も「自分の輪郭」をより繊細に認識してきているのだと思います。
そういう外側から聞こえてくる言葉も、ぜんぶ自分の中の会話ですので
「いや、わたしはこっち」「やっぱりこっち」と、
中心軸という棒取り合戦をしていたんだなと思いました
自分軸ブレブレで。
ワンネスとか、ジェンダーレスとか
そういうのは、自分の輪郭をもっとハッキリと認識してはじめて理解できればいい。今はそう思っていて
(これは私自身の課題なので、認識の押し付けではなく)
具体的に言えば「男か女かわからない、混沌とした『ワンネスっぽい世界』からさようならをしたい」。
「じゃあ肉欲に溺れたような話」かと言うとそうではなく、
「もう結婚とか関係ない時代来るんでしょ?だったらフリーでくっついたり離れたりでいいじゃない」とか
「性についてコンプレックスを赤裸々に語り合おう」とか
そういうことではなく。
それは「男か女かわからない世界」と対極のようで、実のところ根っこは同じだと思っています
私もそんな感じにずっと囚われつづけてきたのでよくわかります
今も内観しつづけている途中ですが…。
そうではなくて、
本当の女性の姿と役割
本当の男性の姿と役割があって、
真のパートナーシップが産み出す共同創造は
社会を、地球を、ひいては宇宙を「良い方向へ変えていく」と、わたしは本気で思っています。
それは単に恋愛とか、肉体による関係とかそういうことでは片付けられない。
その存在が自分の中心にゆるぎない北極星のようにあって、それは自分の原動力であり、生命の源。
3次元の具現化を超え、いわゆる「奇跡」すら起こしていく。
宇宙に星が生まれる時、物質が2つに分かれるのだそうです
その原因はまだわかっていないようですが、それはまるで細胞分裂のはじまり。
私たちの生命もまた、宇宙のことわり。
魂は存在しない、という考え方もありますが
わたしは「魂はある」と信じています。
その最小単位は一対の男女
だからわたしは、本当の「女性」になる必要がある
「よろこび」という「愛」を
この身体いっぱいに、溢れるように、ただただ、表現していく。
片割れの存在があるからこそ私は、光を放つものを産み出せる。
昨日「The Eden」をご新居に迎えてくださった方から、こんな嬉しいお言葉をいただきました
「いつも見える場所で見守ってくれる、我が家の守護神です。
お迎えしてから運気が爆上がりです。ちゑちゃんの作品は本当に不思議な力があると思います。
これからもそんな子達を世に産み出してください。」
本当に、ありがとうございます…。
良い運気を引き込むことが出来るのは、その方ご自身のポテンシャルに他ならないのですが
わたしの産み出した作品が、その方の助けとなるような存在でいられたとしたら
こんなに嬉しいことはありません。
昨日、このメッセージをいただいて
「あぁ、これでいいんだ。わたしの信じる道はやっぱりこれなんだ」と思いました
まさにこれが、わたしがこれから起こしていく「奇跡」だから。
すべての人に理解をされなくてもいい
そこに「そこそこ」は存在しない。
私の求める本当のワンネス、本当の「男も女もない」世界は
おそらく自分が表現をしつづけた先に見えてくる
「幸せ」を超越した「歓喜」の世界。
だから「そこそこ幸せワンネスに、今のままでいようよ」という空間から
「いままでありがとう」と感謝をしながら、
私はさようならをする。