作品のこと

縄文の”Re–born” 、冬至の日

今日は2022年の冬至、1年で最も夜の長い日です

日本海側では数日前から大変な大雪になっています。関東でも朝から冷たい雨がざんざん降りで、これまた激しく「節目らしい気候だなぁ」と感じていましたが・・午後からは澄んだ青空が広がり、まるで洗濯した後のような空気感。

木から落ちる雨粒が空気中で太陽の光に反射して、空間そのものが別世界に変化したように感じました

縄文人たちは、この冬至を大切にしていたようです

青森の三内丸山遺跡の建築物は、柱の配列が二至二分(春分・夏至・秋分・冬至)を知るための配列で設計されています

それはこれら節目の日が、縄文の人たちにとって重要な日だったということを教えてくれています

太陽は昇り、沈んでを繰り返す。そのサイクルに日々の「死と再生」を見出していたとすれば、冬至の太陽は「最も太陽の力(=生の力)が弱まっている」、すなわち最も「死」に近い状態を意味していると考えられます

太陽の力が弱まるということは、大地の力も衰えている(作物が摂れない)。縄文人にとって死活問題の季節です。だから太陽の再生・復活を祈る儀式を行うために、必要以上に大きな建築物を作ったのかもしれません

私の地元にも「花祭り」という霜月神楽があります。太陽の力が最も衰える霜月に行われたとされ、来年の五穀豊穣を願う祭りです

作品解説:仮面の神々

この神楽には、最後に皆で聖なる湯をかけあって無病息災を願う「ウマレキヨマリ(生まれ清まり)」という儀式がありますが

これも言葉そのままに「死と再生」、縄文人と同じ思想です

作品解説:ウマレキヨマリ 

今年7月の個展タイトル「Re−born Jomon」は、そんな縄文人から現代に生きる私まで脈々と受け継がれていた思想を表現していました。と同時に大きく大きく変化しはじめている、この見える世界と見えない世界、そして「私自身の大きな変化」を表現した作品群でもありました

冬至の今日、またこの世界がひとつ大きな節目を迎えたことを肌で感じ

私もそれに合わせ決めたこと

「概念を超えていく」。

私はずっと「うまくやろう」「失敗したくない」と思ってきたフシがあります

それは「何かを失うことへの強い恐れ」「自分への不信」があったから、だと思うのです。

変化する自分、変化する周囲の環境、変化する関係。

それはもはや「カレンダーで刻まれた節目」「世間の常識」「正しい、正しくない」という

「人が短い歴史の中で決めた物差し」では測れないところまで、自分の認識はおそらく来てしまっているのに

今までと違う感覚のほうへ自らを委ねることが怖くて仕方ないのです

でもこれからは、自分が掴みかけている感覚を少しずつ信頼してあげて、時間も空間も超えていく

失敗してもいい、傷ついても、時に迷惑をかけたとしても。

縄文の人たちは、おそらく知っていたのだと思います

「死」があってこそ、「再生」がある。

この大きな節目の日に、そんなことを思ったのでした

来年の2月、新作を含めた展示会を予定しています。

また新しく「再生」した私をお見せできますように。

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