さて、今回は「好き」というものの「純度」を高めることが、
これからものすごく大事・・というお話させていただきました。
【音声配信】これからは「好き」の「純度」。→コチラ
先日は「もう、縄文はいいかな・・」と思ったり、
今度は「もう、無理して好きになる必要もないかな・・」
と、なりまして。
「好き」というのは「無理をして好きになろうと努力する」ことではなく、
「自然に溢れて止まらない状態」なのだと気がついたとき
「あぁ、もうその『好き』だけでいいのかもしれない」と思いました。
その「好き」への「努力」は努力ではなく、
「好きだからなんと言われようと、時間も空間も損得もなく、してしまう」
ということ。
でも、その「好きなことだけをやる」ということへの抵抗もあったんです。
それは「好きなことだけではお金は得られない」、ということではなく
私にとって「好き」は、「好きじゃない」ものよりもむしろ「嫌い」に近いです。笑
好きじゃないものでは誤魔化せていた、自分の「生命」を
本気でやらなければいけないからです。
だから、「純度を高める」ということは「覚悟がいる」・・
でも、やりたいのだから仕方ない。
2022年に霞ヶ関を辞めた時のように
崖っぷちに立っているような気持ちになっている、2025年3月です笑
今までに感謝をしながら、またひとつ何かを終わらせていく兆し。
ぜひ、ご視聴いただけたら嬉しいです^^
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