すこし暑さが和らいできたので
ついに、草取りを決行しました
借家には3畳ほどの庭があるのですが
まぁーこの庭の手入れというのは…大変ですね。
特別、ガーデニングが好き!というわけでもないので
オプション的についていた広めの庭は草取りが思った以上に大変で、
たわむれに手をつけてみたものの「ちょっと飽きたな」と思った途端
あっ 、という間に弱肉強食で勝ち抜いた、マッチョな雑草だけが生き残る庭になってしまいました笑
毎年、ものすごい勢いで生い茂る庭。コントロールできない忌々しさ。
自分に手間をかけさせ、ただただ邪魔をする庭は憎らしく、草が伸びてくるほど目を背けたくなり
「もうさすがにやらないとまずい」と意を決した時だけ庭に出る私は、敵を千切っては投げ、千切っては投げ…完全に「いくさモード」でした。
そんな庭の草との仁義なき戦いを数年続けてきたのですが、ここ最近になって
「自分が目にしている事象、起こっている出来事はすべて自分ごと」という法則がようやく腑に落ちてきたとき
荒れ放題の庭が目に入りました
「この庭の状態は、私の体と心の中か」
そう思った時、ものすご〜く否定したい気持ちになりました
が、妙に納得しました
この状態を招いたのは他の誰でもないなと。
ちょっと手をつけて、飽きて、放置したら、荒れるのは当然のこと。
そこに手をかけるということ、
愛をかけつづけるということをしてこなかった結果がこれ。
愛をかけることをやめたのは自分なのに「思い通りにならない」と諦めて
今の現状に「悪いのは私じゃない」と。
今まで自分がやってきたすべてにおいてこの「愛をかけつづける根気」、そして
「えぐるように自分の闇を直視する」ことを、避けてきた気がしました
表面上の草を刈っても、いっときはスッキリしますが
根っこが残っていればそこからまた生えてきます
今回は、丁寧にブロックの下をどけたりして、元の根を断ちました
そのブロックをどかすとき、ちょっと怖いんですよね
「でっかいムカデとかいたらどうしよう」とか考えちゃって笑
これは、自分のいや〜な部分、内側の闇と向き合う作業そのものでした
自分の根っこを見なければ、表面はいっとき解決できたようでも、春になればまた荒れ放題。
そして「なんか違う」「こんなはずじゃなかった」「私は悪くない」という、ループの繰り返し…
もうそろそろ、そんな長い長いループも断ち切る時。
自分をもっと、闇ごと愛をかけてあげて
本当の自分の根っこにある声を聞いてあげなくては。
そういえば今年の展示会でも、わたしは根っこを描いてたなぁ…
作品解説:The Eden
そんなことを考えながら黙々と草を取り続けていたら
白い、綺麗な花が咲いていました
タマスダレ。花言葉は「汚れなき愛」。
伸び放題の草に隠されて、気がつきませんでした
こんなすさみきった庭でも、綺麗なお花が咲いてくれていたんだなと
しばらく手を止め、感慨深く魅入ってしまいました笑
これからはもう少し、こまめに庭のお手入れをしてあげようと思います
それは何より、私自身の心と身体を慈しむこと
そして、よりはっきりと見えてきた自分の夢を
叶えていく土台となることに他ならないから。