日々、思うこと

大切にされるということの大切さ

久しぶりのブログ更新です

昨日は、いつもお世話になっている方のサロンにお招き頂き・・明治記念館の美味しいパウンドケーキをお福分けとして頂きつつ、楽しい時間を過ごしました(熱い時間ともいう)

忙しい方なのですが、こうして時間を作っておもてなしをしてくださいます・・愛だなぁ。

いただくもの、学ぶことがいつも多く

この日も肚落ちする気づきがありました

最近感じていること、そしてこの時確信したことを

備忘録的にブログへ残そうと思います

やっぱり「自分はこんなにも大切にしてもらえるんだ・・」ということを「体感として知る」って、

本当に大事すぎるくらい大事だと思うんです。

正直「他はとりあえず置いとけ!とにもかくにもこれが最優先だ!!」くらいのレベルで。

「私は愛されている」「ひとり1宇宙」「すべては完璧」「感謝しかない」

よく言われますが・・本当にそれ肚落ちしてますか?ということです

私はどれだけ本を読んでも人の言葉を聞いても「いまいち実感できていなかった」のが本音です。今でもそんなに悟ってません。

ただ「体感」として「自分は大切にされているんだ」「愛されているんだ」と「体」が知る度に

いろんなものが見えてきました

それは、自分がいかに「雑」だったかということ

目の前のこと、目の前の人に対して「雑」な扱いをしていたということ。

それは結局、自分を「雑」に扱っていたということ。

自分を丁寧に、大切に扱ってこなかった私が、一体何を大切に扱えるのでしょうかと。

「相手に対して雑」=「自分に対して雑」=「自分は丁寧に扱われてこなかった」=「自分の命を大切にされてこなかった」 ということです

人類の歴史はずっと長い間、奪ったり奪われたり、殺したり殺されたりの歴史が積み重なっています

貧しい農村では、口減しのために仕方なく命を絶たなければいけないこともありました

「人」としての尊厳さえない環境に置かれた人もいます

私は「昔の人は大変ね(私は違うけど)」と、思っていました

でも、その人たちが連綿と繋いできた血のつながりの先頭に、今の私たちが生きています

だから人類は程度の差こそあれ、ほぼ全員が「私なんて」と「いじけている状態」を持ち越している状態なんだと思うんです(もれなく私も)

それを根本的に癒せていないから、いくら「ありがとう」を連呼しても心から感謝できず何も変わらない。

「風の時代だから」「縄文だから」=「人間関係も恋愛も自由でいいよね!」「ワンネスだよね!」

いやいや・・それが「雑」だと思います笑

これは「私の場合は出来ている」という訳では決してなく

「自分は知っている、できている」と思い込んでしまうことの危うさがあって

礼節を欠いたり、相手の気持ちを想像しないで言葉を発したり行動に移したり

それっぽい軽やかな言葉を使っているうちに、簡単に闇落ちしているものです

だから私は、自分が「雑」であることに気が付き

少なくとも「私は(命を)大切にしてもらえるんだ」と体感できる環境にいるからこそ

少しずつ「あなた(の命)を大切にしたい」と思えるようになってきました

でも、それは「根気のいる作業」だということに、最近気がついてしまいました

相手に丁寧に寄り添うことはもちろん、嫌われても無視されても信念を貫くというメンタルが要ります

これが間違いない「本質」だと分かっていても、普通に嫌われたくないですから笑

そして何よりも「前前前世からいじけている人類代表の自分」の中を、丁寧に見つめ続けなくてはいけない。

こんな嫌な作業もありません笑

でも、私が望む未来はこの先にきっとついてくるという確信があるので、やると決めました

「って何を?」とお思いですよね・・

それはまた、ブログで少しずつご紹介できればいいなと思っています。

やっぱりここは「丁寧に」ですからね。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

今日もよき日をお過ごしください❤️

関連記事

PAGE TOP