「縄文の絵を描いてます」というと、
いろんな「わたしも縄文やってます」という方とのご縁が繋がる今日この頃なのですが、
皆が皆、それぞれの解釈で「縄文」をやっておられるので
興味深い反面「かなりお腹いっぱい in 2024年」です。
そもそも、どうして私が「縄文」をやることになったのかというと
縄文の「じ」の字も興味関心がなかった私が「これからは縄文の時代が来る」という、ある方の一言から
「そうだ、土偶描こう」からの
浅草の画廊で縄文をテーマに初個展をやらせていただくこととなり、
国家公務員の世界にいた人がすっかり「縄文の絵を描く人」になり、はや4年。
(この話は長いのでおいおい)
こんな感じで始まった私の「縄文」なので
縄文とはなんなのか?と聞かれると「何かアカデミックな回答をしなければ」と思っても
「さぁ…?1万年以上つづいた平和な時代で…」みたいな答えにしかならず。笑
「もっと知識を得て、自信をもって「縄文とは」と言いたい。それは作品にも活かせるはず」と思っていました。
「縄文やってるのに縄文を知らない」という焦り、劣等感、作品へのヒントが欲しい、なぜ自分が縄文をやっているのかを知りたい…
そんな思いから、いろんな「縄文」に今年は足を突っ込んでいました
そして、余計にわからなくなりました笑
そして、しっくりこない。
考え方も行動も、主張もありかたも違うので
何が「縄文的」なのか、わからなくなりました
で、思いました
「もうそういうのは『わからない』でいいや」
「本当にわかりたいことは、別にある」と。
日本人のルーツとか、全ての始まりが日本人だとか、文字があったとか無かったとか
私にとっては、さして重要なことではなく
むしろ「知らないから、わからないから学ばなくては」と
外側にはっきりとした正解を求めていたから、訳がわからなくなっていたのだと思います
ある人に言われました
「学んでから、学んでからって言ってるけど本当は知っているはず」と。
その時は「いや、知らないです…」と思ったのですがここ最近、いろんな「縄文」をやっている方のお話を聞く機会があり、
それは南アフリカの展示会があったから繋がったご縁でもあるのですが、
「あぁ、結局答えは自分の中にしかないのに
それをやりたくなかったから外側の知識を求めていたんだな」
と…結局またしても外側への依存だったのです。触れてみてわかりました。
内側をやることは、外側から知識を得ることよりも面倒で、難解で、より高度なこと。
私のほんとうの挑戦は、外側にある縄文を学ぶことではなく
「より、自分の深いところに触れていく」
ということだったのです。
わたしはもう、すでに出会っていた
鍵となる人、深いところへ触れるためのツール。
私はもう、知っている。だからそれに向き合って、思い出していくだけなのです
自分を信じて。
何を信じるのかは自由。でも、外側に溢れる情報は参考にしかならない
むしろそれを真実と決めることは、私にとっては「楽な方法」で、
ときには自分を見えなくさえするのだと思います
ほかは要らなかった
内から湧き出す、女性的な要素をふんだんに盛り込んで
「自分の中を統合させる」ことが、
私が縄文をやることのすべて。