日々、思うこと

深山の祝祭 〜神妻の花の舞〜

今まで、眠っていたもの

眠らされていたものが、表に出てくる。

そんな時代を実感をもって、いよいよ感じることの多い今日この頃です。

故郷の祭りが学術的に取り上げられると聞き「これは絶対に見に行かなければ」と浜松に日帰りしました。

静岡⽂化芸術⼤学特別展⽰「深山(みやま)の祝祭(まつり)―神妻(かづま)の花の舞―」

詳しくはhttps://www.suac.ac.jp/event/03528/

控えめに言って、素晴らしい展示と講演会でした…。

じつはこの神妻(かづま)神社、わたしの実家から川を挟んで目と鼻の先にあるのですが

地元の人でも訪れることが容易でない場所にある、神秘的な神社なのです。

ずっと忘れていました。そこにあるのに、ないものとしていました

その神社と、故郷のマツリ「花の舞」の存在を。

2年前まで霞ヶ関で働いていた私が人生の大転換期を迎え、「縄文をテーマに個展をする」ことになるまでは。

そしてこの土地、このマツリが「私と縄文の繋がり」であり「創作の原点」だということに、気がつくまでは・・です。

私が神妻神社を訪れたのは、2022年の5月5日、初の個展を控えた2ヶ月前でした。

なぜか興味もなく詳しくもなかった「縄文」をテーマにした個展を開催させていただくことになり、

たまたま読んでいた本から「花祭り」の記述が書いてある文章を見つけたことから、

地元のマツリと縄文のスピリットが「死と再生」(ウマレキヨマリ)であることに気がつき・・

それ以来私のテーマは「Re-born」となりました。

また、縄文について調べていくうちに「神妻」という言葉が文章に出てきたため(女性は神の妻である、という意味で)

「そういえば神妻という場所が実家にもあるな」と思い、この神社に意識が向かったのでした。

色々な条件が重ならなければ訪れることができなかったのですが、

運良く連れて行ってもらうことができました。

そこに漂うご神気に感動し「神妻」という作品も生まれました。

でも、あれから訪れることはできていません。

だから今回の公演で大学の先生が「本当は昨年開催予定だったのですが…神妻神社の調査に訪れる前夜に豪雨で道が崩れて行けなくなり、今年の開催になりました」と話されていて、妙に納得したのでした。

展示は神妻神社に残された5つの仮面と古文書。これだけでもかなり興奮します。

まず私の集落に残るマツリ「花の舞」は、この「神妻系」だったということがとても嬉しい発見でした。

そして、各地の花祭りごとに特色のあるこの鬼面、わたしの故郷・川合花の舞の鬼面は「神妻神社の鬼面のコピーだった」ということ、そして「東栄町の大入系と合流してはいるが、メインと言える榊鬼の舞は、かたくなに神妻系を守っている」ということが感動でした…(ローカルな話ですみません)。

なぜなら有名な「本家」と思われる愛知県東栄町の花祭りからの枝分かれで、

単に「分家」のような存在でしかないと、ずっと思っていたからです。

それが「この土地にも、きっと独自の何かがある」と、2年前の「縄文」をやることになったことをきっかけに強く思うようになり、その裏付けとなるものを探していました。

東栄町から流れてきた大千瀬川と、諏訪湖から唯一流れ出している天竜川とが合流し、そして地下には中央構造線が交わる場所は、日本中でここしかない。この「川合」と呼ばれる土地。そしてこれほど神秘的な神妻神社の存在。

合流する土地の持つ「統合」「調和」のちから…文化・芸術のような見えるもの、そして

エネルギー・祈りのような、見えないもの。そんな異なるものが混じり合う「境界」の土地。

(実際、このマツリは熊野の修験道、陰陽道、伊勢信仰、諏訪信仰、白山信仰など…あらゆるものが混じり合っているという全国でも珍しいマツリだと、どこかで読みました)

だからもっと詳しくこのマツリと神妻神社について知る機会はないだろうか、古文書なんて個人ではとても見せてもらえないだろうし、仮に見せてもらったとしても読み解く教養もない…笑

「自分の好きな絵を仕事にする」そして「縄文をやる」人になったことで、急に私の中の「故郷のマツリ」にスポットライトが当たり、

過疎化の波に押される集落と、存続が困難なマツリをなんとかできないだろうか・・

とはいえ地元に暮らす方々の邪魔をするわけにもいかず、こんな怪しげなことを急に言い出してもどうなんだろう。

でも、「当たり前だと思っていたことは当たり前ではなく、何もないと思っていた土地は、本当は凄いものを秘めているんだ」と思った自分のように、故郷に誇りや希望を持って生きられたら。

「離れていても何かできることはないだろうか」と、ここ2年ほど悶々としていました。

そんな2024年、地元の方がクラファンを開催されたり、このようなアカデミックな展示が催されたり・・

急に、嬉しいニュースが飛び込んでくるようになったのです。

こんかいの展示で知った逸話「神妻神社の鬼面を使って舞ったところ、鬼面が舞手の顔に貼り付いて離れなくなってしまった」というのは面白い(というかコワい笑 けど、あっても不思議ではないなと思った)エピソードでした。

花祭りで鬼面をつけて舞う男性の、こんな素敵な言葉があります

「自分よりも何代も前から、それこそ何百年ものあいだ、この同じ面を着けて舞ってきた人たちがおるわけでしょう。この重たい鬼の面と衣装を着けて、同じ時間舞って、途中で苦しくなったり、ここでもうひと踏ん張りとか、先人たちも舞いながら感じて来たんじゃないかなって。こんなふうに全く同じことを追体験するなんて、他になかなかないと思うんだよね。
だから面を着けて舞庭に出たら、山見鬼を舞った先人たちが一緒に舞って応援してくれてるような心強さがあって。有り難さがこみ上げてくる。」

祭りには、その人の存在そのものが、光り輝いて在る。愛知県・東栄町で700年続く山里の神楽「花祭」にみる、祭りがはぐくむ土地との結び、ひとびとの環

「祈り」の具現化がマツリであり、そして仮面なのだと、つくづく思います。

面が離れなくなったとしたらそれは神と人、先人の思いがトランス状態でより強く一体化したのでは・・と思いを馳せつつ、このエピソードを興味深く受け取りました。

また大学の先生方の講演会も非常に興味深く・・その公演内容を2点ほど。

この土地周辺に「花祭り」「花の舞」という「鬼面のマツリ」が数多く分布していることは、珍しい特色の一つなのだそうです。鬼面の神楽の歴史が古い奈良などは、数える程(3箇所程度)しかないそうです。

ある意味「独占しない」「楽しいから広める」という「フレンドリー」感があったのでは?というお話は興味深かったです。

また別の話。

花の舞では「榊鬼」が登場し、山の榊を伐ったことに対して激おこ(激昂)します。

「誰に許可を得てこの木を伐ったのだ(激おこ)」と。

そこで村の代表(禰宜)と鬼と榊の枝の引き合いがあります。

そんなにコワモテで激おこした割に、年齢でマウントを取られ、葉っぱの引き合いにも負け、結果「祝福してあげる」って、

うちの鬼、かわいいしかないんですが・・・。

九州にも「椎葉引き」という、怒った鬼神と人が枝の引き合いをする、という似たような神楽があるそうです。

その末に、人は鬼から蘇りの杖を与えられるのです。「蘇り」「生まれ清まり」という祝福に共通点もありますね。

宮沢賢治の「狼森と笊森、盗森」というお話があります。

この土地を切り開こうとする人が、山に「木を伐っていいかー」と尋ねると、

山が「いいぞー」とこたえるのです。

木を伐っていいか山に聞く。そこには神と人がいて、人間と人間以外の、地球上のすべてに対する敬意があり、その存在をはっきりと意識しています。

花祭りに共通点のある九州のマツリは鬼神が座り、人が立っています。その構図から、明らかに上下関係がある、とその先生はおっしゃっていました。

この話を聞き、花の舞にはアニミズム(自然界への畏敬と信仰)に対して、怖れというより「対話」「共生」のようなものを感じました。もっとフレンドリー。だから鬼と禰宜が問答をしながら榊の枝を引き合う際、同じ目線なのではないでしょうか。

そして神と人が渾然一体となって舞い、歌い、大地の再生を、生命の繁栄を祈り、願う。

花祭りは中世に生まれたと言われていますが、

その根底で継承されているものは中世というより、もっともっと古い、

古代のスピリットなのではないでしょうか。そう思いたい。

そしてこれは、これから人類が思い出していく、いかなければならない

人と人、人と人以外の存在、そして本当の自分との

統合と調和。

そのためにいま、満を持してこのマツリが、鬼が、表に出てきたのではないかと思うのです。

同じようなことはいろんな場所で起こっていると思います。

今月、宮沢賢治の土地(東北)にご縁をいただいたことも、おそらく無関係ではなく・・

隠されてきた「まつろわぬ存在」が表に出ていくためのお手伝いをさせていただくことが、

わたしの喜びにつながる気がしています。

それが、私が縄文をやるひとつの意味でもあり

こんな「フレンドリーなマツリ」を育んだ、愛すべき土地から受け継いだものだと思うのです。

作品解説:仮面の神々

最後に、今回の展示会を開催してくださいました静岡文化芸術大学の皆様、浜松市無形民俗文化財保護団体連絡会の皆様、浜松市の皆様。そして神妻神社、川合花の舞保存会の皆様。本当にありがとうございました。

ますます、自分の生まれた故郷に誇りを持つことができました。

今年は花の舞を現地で見ることが叶わなかったので、デモンストレーションとして見ることもできて嬉しかったです。

これを機にもっと学術的な研究が盛り上がり、新しい発見があり、たくさんの方がこのマツリの素晴らしさ、この土地の素晴らしさ、日本の素晴らしさ、最終的に「自分という存在の素晴らしさ」を、もっと思い出すことができますように。

開催概要

【会期】2024年11月15日(金曜日)〜11月20日(水曜日)
【会場】静岡文化芸術大学ギャラリー
【主催】静岡文化芸術大学 地域連携センター
【共催】浜松市無形民俗文化財保護団体連絡会
【後援】浜松市
【協力】神妻神社、川合花の舞保存会

それにしても、川向こうの神妻神社は

私たちが住む集落と、川一本を隔てひっそりと、さらに深い山の中にあり

まるで常世そのものだと思いました

現世(うつしよ)と常世(とこよ)を隔てた川。

私はこんな三途の川のような場所で子供の頃、夏になるたびに泳いでいたんですね…笑

後述(あれこれ勝手に推測):

「ウマレキヨマリ」という死と再生の概念にはやはり「シラ」(白)が根底にあると思う。今回も花の舞保存会の方が「花の舞の、頭につけた花は稲穂の花を表していると言われている」という解説に、なるほど〜と。「シラ」は沖縄の八重山地方で稲積をシラと呼んでいた。シラは誕生に通ずる古語。花冠を頭に乗せるのは稚児の舞ですから、生命の誕生を子供になぞらえているのかもしれない。花祭りの上から吊るす「ビャッケ」は「白蓋」と書くという。昔の花祭りは白装束を着て、白い小山のようなものの中に籠ってから出てくる義死再生儀式があり、ビャッケはその名残として天蓋だけ残っているという。それが本当の花祭りの「ウマレキヨマリ」の儀式だったのではないかと思う。鬼が天井に吊るされた蜂の巣を破るのも、おそらく生まれ変わったことを示す儀式のひとつだと思われる。東栄町古戸の白山も、石川の白山信仰からきていると思われ、修験者は俗世と切り離された霊山に籠ることで験力を得る。それもあの世(常世)を経験してくるという、一つの義死再生のイニシエーションだと思う(花祭り資料館の方に聞いた話で、古戸のご神体は白山から修験者が持ってきた隕石(ククリ姫)で、布に包まれた中身は誰も見たことがないという話を聞いた。一度でいいからその包まれた御神体を見てみたいと思う)。古戸地区の花祭りは古戸にある白山に登っていって、舞を奉納しないと古戸地区での花祭りを始めることができなかったというから、もしかしたら川合地区も同じように、本来は神妻神社でご神事をしてからでないと始められないような順番があったのではないかと考えたりする。隕石、陰陽道の反閇、繰り返しの多い舞の所作と回転。宇宙だなぁ…。

参考文献:

・個展前に偶然花祭りの記述を見つけた書籍:神と女の民俗学

・「神妻」という言葉を見つけた本(この本では「女性は神の妻」という意味):

影の王: 縄文文明に遡る白山信仰と古代豪族秦氏・道氏の謎 他

実家について語っているブログ:

現世(うつしよ)と常世(とこよ)のはざま…写真を見ただけで「凄い場所ね」と言われる「何か」があるっぽい。

南アフリカなカフェバーにて、展示会をいたします!…今夏、まさに三途の川に入ってた感ある。笑

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