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昨日は春分でしたね。
春分は「学校を・仕事を休める日」
くらいにしか思っていませんでした。
今となっては1月1日よりも、どれほど古代から重要視されてきた節目なのだろう…!と思います。
縄文人はもちろん、世界中の人々が古代から意識してきた日。
昼と夜、陰と陽が釣り合う、節目の日。
あの世とこの世が溶け合う日。
ここから昼が長くなり、陽の力が強くなっていきます
「宇宙元旦」とも言われますね。
体感として、まったくその通りだと思います…しかも2025年は特に
「総決算的な元旦感」があります
(ちょっと自分で言ってて意味わからないですが)
私にとって「縄文」とは一体なんなのか?
4年間、ずっと不思議に思ってきました
興味も知識もなかったのに、それは突然現れて
人生が何度でも生まれ変わるように変化し続け、
いつしかこの4年間ほどの間で「縄文を描く人」になっていたからです。
そして今年に入ってから、
自分のこれまでを音声配信で振り返ってみたり
「なぜ縄文をやる人になったのか?」という講話を人前でする機会をいただいたり、
「なるほどここに辿り着くんだ」という、過去世の振り返りもあったりして…。
そんな、今までの伏線回収というか年末特番的な自分の行動と気づきを経て
宇宙元旦ともいえる春分を前にして「もう、縄文はいいかな…」と思い始めていました。
なぜなら私にとっての「縄文」とは、
いくつかある「私の封印を解いてくれたもの」の、要素のひとつだと思ったからです。
初めての個展で「作品としての絵」を描くキッカケをくれたもの。
「自分は絵を仕事にできるんだ」と教えてくれたもの。
個展の前、故郷の祭りが縄文的だったことを偶然知り、
生まれた土地・先祖・過去世は自分と無関係でないことを知り、
その縦糸と横糸が織りなす中に私が存在している、ということを教えてくれたもの。
そして、封印していた女性性を取り戻すためのもの。
今世、出会うべくして出会う人とのご縁をつないでくれたもの。
「縄文をやるアーティスト」として、
とことん自分に向き合わされてきた…そんな4年間。
つまりその過程は
「本当の自分に戻るため」の、
「本来の魂が求める生き方」をこれからやっていくための準備として
「ゼロポイント」に戻るために、どうしても必要だったのです。
そんなことを感じながら春分の前日、ある方とお会いして
普通にお茶をしていた時のことです。
その方は「見えないものが見える方」なのですが、
私が「縄文をやることになったのは、自分の封印を解くためなのでは…」という
先ほどまでブログに記してきた持論を展開しはじめると
「ちょっと待って、横に誰かきた。はい、どうぞ(話の続きを)」
と、言うんです(お付き合いして5年ほどですが、そういうパターンは初めて)。
いや、なんかいきなりゲストが増えたんですけど笑と思いつつ、
もうそういうのは何も不思議に思わなくなってきているので
「なんかやりづらいな」と思いつつ先程まで記してきた私の持論を話すと、
「『うん、いい説明だね」』って言ってるよ」と。
「一体ぜんたい誰なんですか笑」
「なんだかでっかい人。ベイマックスみたいな…
ほら、ちゑさんが陶芸で作ったみたいな」
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そのとき…静かな感動がありました
土偶に「そうだよ、あなたの封印を解くためだった」と、言われた気がして。
「もう、縄文はいいかな…」と感じていた私の意識が、
「あ…私はこれから先も縄文をやっていくのかな」
と変化した瞬間でした。
宇宙元旦・春分点を前日に控えた、大晦日の出来事。
縄文の造形は、男性と女性の特徴がハッキリと表現されています
だから私も当初は戸惑いながらもハッキリと、それに倣って表現してきました
おそらくそれは「自分が女性であること」を思い出すために。
そして、ここからは男でも女でもない「表現者」として、
もっと、男でも女でもない
もっと古くて、新しくて、懐かしい、
もっと分離していない
根源の「ネオ縄文」。
そんなものを表現していきたい…なんて
宇宙元旦、春分の日に思ったのです。
2022年、初めての私の個展のタイトルは「Re-born Jomon」。
生まれ変わる、縄文。
2025年の春分前までは、私の封印を解くためのRe-bornであり
これからは、新たな縄文時代のRe-born。
そんな「はじまりのとき」でも、あるのかもしれません。
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