何にしたって「宇宙の理(ことわり)」を感じる今日この頃です
オペラ歌手の先生(さちさちちゃん)開催、声のワークショップ「カラダもココロも喜ぶ発声」体験。
何というかとにかく真理で・・もう「たかが声」なんて思えない体になってしまいました(多分)。
「発声って、歌ったりするのかな」と思いきや
「はい、じゃあ軋んだドアが開くような声を出してください」
「ギィイイイイ〜〜〜〜」(なんで?)
と発声させられるワークから。笑
これは、まず「自分の根本を知る。根本から発せられる振動を感じる」ことを知るワークなのだそうです
自分の「音の源」はどこにあるのか。
それは「声帯」から、というのは何となく理解できます
でもいざ喉仏に指を当てて「ギィイイイ〜〜」と声を出してみると
声帯が、震えていないのです。
先生曰く「汚い声」「綺麗な声」という、
「私たちに植え付けられた概念」「汚いと思っている音を出すという羞恥心」が邪魔をして
「理性」で声を抑え込んでしまっているというのです。
でも、いわゆる「汚い」と認識している「雑味」や「ゆらぎ」があるからこそ共振して、
その人の声の魅力になる。
だから概念を捨てて力を抜いて「振動することを許してあげる」ことが必要だと。
(きのう「概念を超える」と誓ったばかりなのに(ブログ:縄文の”Re–born” 、冬至の日)
「しっかり概念に囚われている私」が翌日あらわになるという・・(恥))
「声帯」は、タピオカ用ストローくらいの気道に指の爪ほどの小さな弁2枚で、できています
この2枚の「世界最小の楽器」は、互いに触れたがっている。
でも、理性や羞恥心で、それを抑えてしまっていると。
もっと自由に、お互いをくっつけて、音を鳴らしたくて仕方なくて、いつも揺らいでいるそうです
体の力が抜けていないと、脱力していないと、声帯どうしはくっつくことができないのに
力を緩めることへの恐怖があって、なかなかそれができない。
この声帯の解説で、私が思い描くのはやはり「対となるものの統合」で、
「概念を超えて本来の姿になった時、ようやく統合が叶い対の創造として本来の音を奏でることができる」
と考えられる・・などと感慨深く聞いておりました
音は、空気が振動するから聞こえる。
「空気がある地球」だからこそ、音は響く。
自分の生命の源から発せられた音を、肋骨や咽頭、頭蓋骨といった空間に共鳴させて、その人の声は形作られる。
この地球に肉体があり、「声帯」という楽器を持つ生き物として
これほど大切なこともないような気がしました
自分と向き合い、羞恥心や恐れといった概念を超え「本来の自分」から生まれる振動を
今度は向き合う相手と共鳴させる。
口先だけ、建前だけでも私たちは声を発することができます
「いらっしゃいませ〜」という洋服売り場の女性の声のような音色で。
「本音」という言葉が浮かびました
それは「本心から出る言葉」の他に
「本来の音色・本当の音色」 という意味もありました
大切な相手には、純度の高い本当の音色で言葉を交わしたいと改めて感じた、素晴らしい気づきのワークでした
ありがとうございます。