6月に控えた能登半島地震チャリティーの準備を理由に、GWの帰省は見送ろうと考えていました
が、叔母の訃報をうけ気がつけばGW初日から新幹線に乗り期間いっぱい実家で過ごすスケジュールになっていました。
旅立つ人が放つエネルギーは本当に凄いです
頭でこねくり回していた私の予定と「死」を、有無を言わさず天秤にかけて
強烈な「生」と向き合う場に連れてくるのです
生前、叔母が好きだったミヤコワスレの花束を一緒に納棺してあげたいという従姉妹の希望で
私の両親は、庭で育てているミヤコワスレを花束にして持ってきていました
ちょうど、ゴールデンウイークが満開の時期。
私はといえば、今回の能登半島地震チャリティーのテーマを「花」に決めていました
「花」を「再生・Re−born」の象徴として。
死と生が入り混じる、はざまの空間。参列する人は何かしらの「再生」を促されます
たくさんの花に託した、たくさんの想い。いま生きている私たちの「生」の想いがたくさん詰まった、叔母のひつぎ。
ミヤコワスレの花言葉は「しばしの別れ」。
たくさんの人に心を寄せた叔母。
その想いはきっと、その場にいた私たちの苗床となり
それぞれがまた「生命」という花を咲かせるのでしょう
だからしばしのお別れの先に、再び出会うのかもしれません。私たちの中で。
なぜ、久しぶりに会う親戚が口を揃えて「またあの家(私の実家)に行きたい!」と言うのだろう…と思いましたが
ここに来ることを予定していたのに叶えられなかった叔母の想いが、
私に何かを促しているような気がしました
「納骨できなかった残りの骨は、能登のお寺で供養されます」と
係の方がぽそっと。調べてみると、輪島市にあるこちらのお寺もまた1月の地震で大きな被害を受け復興のさなかでした。
今を生きるわたしがやることは
わたしという花を咲かせること
ためらいなく
先人の想いを苗床に。
あと叔母が、「今のうちに会える人には会っておいた方がいいよ」と
言ってる気がします、やっぱり帰ってきてよかったと思うから。