日々、思うこと

彼方の光

昨日、葉山の森戸神社にて観音舞のご奉納をさせていただきました。

2020年の7月、何となく「不自由感」を感じて

平日に有給を取って、ひとりで逗子まで来たことがあります

延々と海岸沿いを歩いて、この森戸神社に辿り着いて

しばらくぼーっと海を眺めて、ちょっと満たされた気持ちになったのを覚えています

(ブラタモリがちょうど葉山特集で「剥き出しの断層が見られるスポット」が森戸神社にあることをテレビで見たから、それを見たかったというのもあるのですが ←共感を得にくいのはわかってます・・)

その2年後、なぜか巫女舞をやっていて、この森戸神社さんにご奉納をしていて、なぜか有給を支給してくれた職場も辞め、なぜか縄文をテーマに個展やってアーティスト名乗っているとは、この時の私に教えたら絶対信じない自信があります(笑)

なんでこうなった?と自分でも思いますが

「絵を仕事にしたい」という

自分がずっと望んでいた、幻のような輪郭を掴むことができていること・・とてもありがたく思います。

今回のご奉納には「ライアー」という楽器で弾き語りをする方々もおられ、とても美しい音色と歌声でした

その中の1曲だった、リベラ「彼方の光」。 

「私がどこへ行こうとも、遥か彼方どんなところでも、あなたは暗い夜を抜けて私に呼びかけてくれる」

「私が泣いている時も、いつも遥か彼方どんなところでも、あなたは希望の光」

そんな感じの歌です。

この「あなた」は「神様」のことを言っているんだろうなぁと思うのですが

ここで歌われる「神」というのは、誰もがすがりたい唯一絶対の、上からのものではなくて

「もう一人の自分」のように私は感じました

「神」=「もう一人の自分」=「魂の片割れ」。

「神は自分の中にある」とよく言いますが

それはもう一人の自分、対となる相手(ツインレイ)のことではないかと思うのです

「神の精神」みたいなものは人それぞれの中にあって、それぞれに魂の片割れがいて、

そんな男女・陰陽が統合している状態が

いわゆる「神」なのかもしれません。

元々ひとつだった魂は出会うことで、また一つになろうとするといいます。陰と陽でお互いを高めあい、使命を果たすために。

女性に求められる使命って何でしょうね

それは「自分らしくあること」ではないかと、最近強く思います

でも「自分らしさ」というのは実はわかっているようでわかりづらい。行動できているようで、なかなかできていない。社会の制度や時代の雰囲気の中で、どうしても心より頭で判断してしまう

だからどこまでも「自己対話」することが必要で、それは「魂の相手と対話する」こと。

では、男性の使命はというと「女性の器を満たすこと」。

女性は器(縄文で言ったら土器)。男性はその女性の器を満たすことが喜びだと思うのです

作品解説:「願いの源泉

(火(カ)=男性 と水(ミ)=女性 ・・「カミ(神)」の色でその融合を表現しています)

だから女性は「自分らしく、自分を満たす」ことを大切にして、そんな自分を満たしてくれる男性からの愛を、素直に受け取ればよいと思うのです(私もまだ受け取り上手ではないのですが・・)

「あなたは私を高めてくれる 空を越えて」

「嵐の夜を抜けて 私を引き上げてくれる」

「真のパートナーシップ」とは、そんな魂の片割れとの共同創造。

それは恐れや葛藤、悲しみや痛みを伴うかもしれませんが・・それは「あるべきところへ戻ろうとする過程」。

彼方の光を信じて、これからも「自分の器を満たす」。

この曲を聴きながらそう、あらためて思ったのでした

作品解説「ククリの日

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